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神社の不思議

  • honchikojisitenji
  • 2024年12月22日
  • 読了時間: 2分

写真は鹿児島県の霧島神宮の境内のご神木の杉の大木ですが、下の方に左に突き出た枝の跡がありますが、何かに見えますか?

ガイドさん話のでは手を合わせた神官にみなされているようです。何ということもない枯れ枝の形も、神社の境内のご神木と言われる木にあれば、何か特別のものに感じるのですね。見なしは、そう言われればそう見えるものです。私もそうでしたが、こうやって影絵の写真を見るとご神木が出した小指の指切りげんまんに見えます。

人にとって宗教は、現実の世界を生きる哲学と生きにくさへの救い・護りを与えてくれるものです。現代の日本人にとって神社にお詣りするのは、現世利益をお願いしている側面が多いと思いますが、心底では、その哲学と救い・護りの二つを神頼みしてしまって気を楽にしているのかな、と思っています。私の場合はそうだからです。この10年程、ほとんど毎日(朝)、近くの土地の神社にお詣りを続けています。

この写真は、今の住まいの土地の神様、世田谷八幡宮の朝の姿です。右側に見えるのは、奉納相撲を行う土俵です。朝日の木漏れ日が差し込んで、何か神様の啓示を感じる雰囲気があるのも神社の境内だからでしょう。

地域の創造には、そのような難事を進めることの難しさを救ったり、護ってくださる何か心の拠り所が必要なような気がします。そのような意味で、神社と神社のお祭りは、地域の人々にとってなくてはならないもののように思えるのです。

 
 
 

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