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東京の檜原村

  • honchikojisitenji
  • 2024年5月20日
  • 読了時間: 2分

5月の連休中に東京奥多摩の檜原村の山を歩いてきました。檜原村は多摩川の支流の秋川の上流部に広がる山村地域ですが、江戸から甲州に抜ける甲州中道の街道筋にあり、往来も多かったそうです。森林が90%以上を占めており木材、炭が主な産物で、林業の村でした。

燃料革命で炭の需要が激減、木材も戦後の復興で過剰な伐採が行われ、その後は木を育てる時期となり、永らく木材の生産は低調となってきました。その一方で、森林レクリエーションが盛んになり、森林公園である都民の森が設定されています。また、秋川源流という事でサントリーの森が設定されています。また、東京都中央区も中央区の森を設定し、森林レクリエーションへの区民の参加を促しています。森林レクリエーションは山村の所得を増やす一つの産業の形と考えています。いわゆる物見遊山的な観光ではなく、自然の体験・住民との交流による応援人口(関係人口という言葉が一般的ですが、もっと積極的なファンクラブとでもいうべき人口です)の創出を目指すものですが、その需要も都市にあるという事はやむを得ない事実です。この道中でも、天然酵母のパン屋さんや古民家カフェなどに立ち寄ってきましたが、ファンを育てる重要な取組になっているように思います。


とは言え、人口は減少してきています。人口は2千人で、最も多かった戦後間もなく頃の3割にまで減っています。戦後間もなくの頃は、仕事と食料があり、首都東京にも近いこの山村地域には人が多かったのでしょう。山の斜面は急なため、今ではモノレールによって家への通行を確保している家もあります。住民にとっては、田畑を耕すのに適した土地は少なく、林業を振興するうえでも、この森林の傾斜のきつさは不利だったと思います。


そのような檜原村の南秋川の旧街道沿いの人里地区にあった古民家カフェ晴ノ舎です。

なお、人里と書いて「へんぼり」と読みます。隣の集落は笛吹と書いて「うずひき」とよむという難読地名の地域です。当て字でもなさそうです。山深いとは言え旧街道沿いです。この地名の由来を探ってみるのも面白そうです。

この古民家は旧高橋家という登録重要有形文化財です。江戸時代末頃に建てられたもので160年は経っている古民家を改装してカフェにしていました。もともとは養蚕農家だったようですが、幕末期からは医者(漢方医)でもあったようで、当時の往診用の籠が軒下に吊り下げられていました。このような古民家が関東大震災などを乗り越えて、使われ続けられるという事で、木材の力を感じることができました。



 
 
 

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