追悼 松尾和俊様
- honchikojisitenji
- 2024年5月12日
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先日、たいへんお世話になった松尾和俊さんのお別れの会に行って参りました。松尾和俊さんは北海道赤平市にある木材会社の社長さんですが、全国天然木化粧合単板工業協同組合連合会という団体の会長さんでもありました。
日本で生まれた技術である突板(つきいた)を作って、その突板を合板などの表面に貼った化粧合板などを作っている業界の団体の代表者を長く務められていました。突板(木材からノミなどの刃物で薄く削り出した0.2~0.3㎜程の厚さの板)ですが、消費者の皆さんは気づいていないかもしれませんが、フローリングや家具を作る際に、天然木の質感を出すために木材の表面に貼っていることがあります。まがいものと言われることもありますが、貴重な天然大径木の美しい木肌を、たくさんの方に、色々な場で楽しんでいただくことができるようにするための日本人の知恵と思って欲しいですね。
会社では、社員にほんとうに愛される社長さんだったようです。会社の方々が一丸となって運営してくださっている100kmウォーキング大会は、その社長と写真の関係の象徴のように感じます。
松尾社長が会社の行事として23年前に始められたウォーキング大会は、当初は30kmだったそうですが、今は100kmウォークとして親しまれ、チャリティー行事として続けられています。チャリティーで参加者から集めたお金は地域の福祉施設に寄付されています。地域と会社が連携した行事に成長し、全国(海外も含めて)の木材業関係者はもとより、一般参加の方もたくさんのリピーターが参加しています。コロナ前は1000人を超える大会でした。私もこれまで5回参加しています。
私が参加した5回の大会では、松尾社長はいつも最後尾あたりを歩いて、少しでも多くの方が完歩できるよう、脱落しそうな方を励ましておられました。だいたい27時間が時間制限なのですが、私たちは松尾さんより遅れちゃうと100kmを歩ききれないぞ、と感じていましたし、一緒に参加したグループの中には、松尾さんに励まされて泣きながらギリギリ100km歩ききった者もいました。これからも、会社が故人の遺志を継いで、続けていってくださるようです。
赤平は炭鉱で発展したまちですが、炭鉱は閉山してしまい、人口は1960年(私の生まれた年です)の5万9千人余をピークに、大きく減ってきており、現在8千6百人余りとなっています。北海道の炭鉱町はどこも閉山に伴う人口減少で寂しくなってきているように思います。
写真は駅の南側の景色です。見える山の向う側に炭鉱がありました。街は駅の北側に広がっており、南側はこのような原野です。原野の新緑が美しい季節ですが、山には新緑がまだ上がって来ておらず、白く見える花が一足早く春を告げています。桜ではなく、たぶん辛夷〈コブシ〉だと思います。100kmウォークが行われる6月第3土日の頃には緑でいっぱい。そして歩行ルート沿道はニセアカシアの白い花が満開になります。
赤平の地域の活性化を思い、地域の振興に尽くして来られた松尾さんが亡くなられたことは大きな痛手だと思いますが、木材会社はこれからまだまだ元気になっていくことでしょうし、100kmウォークも続けられて、これからも松尾さんを慕うたくさんの人が赤平に集うことでしょう。
木材をはじめとした地場産業、ウォーキング大会などの取組が盛んになり、赤平が元気になっていくことを期待しています。
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