能登半島地震に思う
- honchikojisitenji
- 2024年1月8日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年1月9日
昨日アップした記事を一部誤解を生む表現があったので、
修正しました。
ごめんなさい。
今年は元日夕方に能登半島地震が起きました。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りしますとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。未だ安否不明の方が沢山いらっしゃることには心が痛みます。救助の手が追い付ういてないというような報道もありますが、不明者の誤関係の皆様の心中をオッ差し申し上げるとともに、救助に携われている方のご努力に敬意を表します。
地震の被害の全容はまだ明らかになっておりませんが、
発生直後に津波が襲った
家屋が多数倒壊した
道路が被災し車両の通行が寸断された
数多くの大きな余震のため救助活動が遅れた
ということが、死者、安否不明者が多くなった要因と思われます。
さらに、
木密地域で火事が広がったことも被災者が増えたことにつながったものと思います。
地震によって地盤が大きく隆起したことで、
津波の高さが軽減されたとの報道があり、
そうでなければ4メートル以上の津波が襲ってきたのかと恐ろしく感じました。
一方、そのために津波、さらには(地震動)の観測が難しくなったことは否めません。
津波被害があまりクローズアップされていませんが、
沿岸地域の津波による人命の被害もこれから明らかになるものと思います。
旧い木造家屋が多数倒壊したことが、
この地震の被害を大きなものにしてしまいました。
2007年にも大きな地震があり、
輪島市で震度6強を観測しました。
震央は輪島市西部で、
この地域周辺に多数の家屋の倒壊が発生しました。
この時に、この地方の屋根の重い旧い木造家屋の危険性が明らかになっていました。
今回の被害が大きかった珠洲市、能登町あるいは輪島市の東部は、
その時は震度5強あるいは6弱くらいだったようで、
全壊等の住戸被害はほとんどなかったのです。
このため、2007年に倒壊した家屋と同様の旧い木造家屋が未だ建っていたようです。
ここに、この数年間の群発地震の影響、
耐震補強が遅れていたこと、
2007年以上の大きな地震で揺れたこと、
等が複合して、多数の家屋が倒壊したものでしょう。
2007年も全壊等の住戸被害が多かった穴水町や七尾市でも、
その時以上の住戸被害が発生しているようです。
特に耐震化が遅れていたのは
住民の減少高齢化、地域経済の縮小で悩む地方の問題の解決の難しさを感じました。
国土交通省や研究者が調査に入り、
この点を明らかにして、
各地方の対策に役立てて欲しいものです。
もう一点、
木造建築物の密集地域の火災が被害を大きくしています。
先年の糸魚川市内の火災でも大きな被害を出したほか、
北九州市などで数次にわたる火災被害が発生しており、
地震の衝撃が冷めやらぬ1月3日にも、
北九州市で飲食店街の火災が報じられました。
木造建築物、特に古い木造家屋では外からの火の粉によって、
延焼しやすい造りとなっており、
このような木造家屋が密集した地域では火災の延焼拡大が脅威です。
これは地方だけではなく、
都市部でも同じことで、
戦前、戦後の復興の際に、
町中の駅近や中心街に密集して木造建築物が建てられてました。
これも住民の高齢化や経済的な衰退、
空き家の増加、土地権利関係の複雑さなどから、
建て替え、整理が進んでおらず、
昭和期の負の遺産とも言えるものと思います。
被害が大きかった木造建築物の問題から、
今回の能登半島の地震について考えてみましたが、
日本における地域の創造のためには、
どこでも起こり得る地震災害に対する対処も考えなければならない、
と強く思った次第です。
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