城のある町
- honchikojisitenji
- 2024年3月25日
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城はその土地の歴史の1ページを飾るだけでなく、シンボルになっている場合が多いのです。当然、城は、その地域の統治と戦の跡です。
写真は岐阜市内から見た岐阜城、その昔は稲葉山城と呼ばれていました。統治の拠点としての役割もさることながら、戦国時代は防衛の拠点という側面が重要視されたため、このような山の頂上に城が築かれていました。これが段々と防衛よりも統治の役割が重くなると、小高い丘の上などに築かれるようになり、さらには平地に城が築かれるようになりました。深い堀、高い石垣、高層の天守閣といった土木、築城技術の発達により、防衛力を強化できるようになったこともその流れを加速しました。
戦国の世の終わりには、武力闘争の防止のため城割といった城減らしがあったほか、明治時代にも以降にも、城がその時代にふさわしい軍や行政などの用途に転用されたため、形を変えていきましたが、一方で、城は地域の歴史や土木技術を語るものとして保存され、観光に供されるようになっています。地域の歴史のシンボルとして、地域住民の誇りや心の拠り所になっているものも多々あるでしょう。
名古屋城や江戸城だけでなく、あちこちの城の天守閣の復元とか城址の整備ということが話題になるのは。地域の創造のためにそのような効果を狙っているものなのでしょう。色々な思惑が入り混じっているため、トラブルも起こっているようですが、地域を何とかしたいというときに城というものの比重はそれなりに大きいのかもしれません。
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