「日本再生][地域創生] 私の若い頃の山旅 渓流釣りの旅 2024年5月13日 この山旅で何度も出合った熊。今日は熊との出会いを中心に
- honchikojisitenji
- 2024年5月13日
- 読了時間: 7分
続木 碧(つづき あお) 2024年5月(研究報告№108)
「巻頭の一言」
この一連の研究報告では、日本経済新聞の毎週土曜日の朝刊に連載されている「データで読む、地域再生」を、参照・引用させていただいて、私の私見を書かせていただいています。
ところが、先週の土曜日、5月4日(土曜日)の研究・報告では、珍しく、この記事が休刊でした。そのため、5月13日(月)の研究報告では、いつもの原稿は書けなくなりました。仕方ないので休刊にしようかと考えていましたおり、テレビで、冬眠から目覚めて穴から出てきた熊たちが、各地の山村に続々と出てきているニュースが放映されていました。
私にとって、山村での熊との出会いは、一番懐かしく楽しい思い出で、古い話ですが良く憶えています。でも、こうして文章として書き出してみると、正確なことはあまり憶えていないのです。書いている内容は、かなり不正確だと思います。でも、楽しい思い出は書けると思います。読者の皆様、そのように理解して読んでください。
[日本再生][地域創生]私の若い頃の山旅 渓流釣りの旅 この山旅で何度も出合った熊。今日は熊との出会いを中心に
「日本再生」「地域創生」私の若い頃の山旅 渓流釣りの旅 この山旅で何度も出合った熊。今日は熊との出会いを中心に
[はじめに]
この山釣りで対象とした魚は、主に「ヤマメ」です。ヤマメは、川の最上流の滝などが連なる渓流にいますが、これよりさらに上流に「イワナ」がいます。ヤマメは凄く敏捷な魚です。釣るのは難しいのです。それに対してイワナは鈍重な魚です。ゆっくりと巣穴から出てきて、ゆっくり餌を食べます。ですから、私は,ヤマメ釣りが大好きでした。
[ヤマメとイワナについて]
ヤマメとイワナは、魚類学上で言えば鮭鱒類です。東京の人がヤマメと呼ぶ魚には、2種類あって、それは琵琶鱒と桜鱒の2種類います。琵琶鱒には、体側に赤い小さい斑点があって、とても美しいのです。桜鱒には赤い斑点はなく、体側に淡い桜色の帯があります。
琵琶鱒は鱒の名がついていますが、魚類分類上は鱒ではなく鮭です。琵琶鱒は琵琶湖発祥の魚です。発祥の頃の琵琶鱒は、どんな生き方をしていたのかというと、以下の通りです。
琵琶湖内の浅瀬や琵琶湖に注ぐ渓流で、毎年、秋に生れた琵琶鱒の稚魚は、生れた年の翌年の春先に川を下って海に入ります。2年ほど海で生活して2年後の春から夏に、生れた川にもどって来て、多くの困難を乗り越えて、生れた源流域にたどりつき、産卵します。牝は全数海に下り、雄は半数は渓流に残りヤマメとして渓流で生活します。
なお、琵琶鱒は琵琶湖発祥の魚ですが、川から海に出た琵琶鱒は、太平洋の日本列島沿岸を、北と南に移動し、各地の川(小さい沢も含む)へ登り、産卵して定着しました。琵琶鱒は、今、関東地方から九州福岡県までの太平洋に注ぐ川の上流に定着しています。
私の渓流釣り人生の晩年の頃、琵琶鱒が最後まで、渓谷と海の間を往復していた長良川の河口に大堰堤が出来て、これも途絶しました。琵琶鱒は一生渓流で過ごす淡水魚(アマゴまたはヤマメ)となったのです。
一方の桜鱒のいる川は、東京湾から太平洋側を北上して北海道の沿岸を一回りして、日本海側を南下して九州に至り鹿児島の南岸をまわって太平洋側に出て、九州福岡県南部の川まで、各川の上流に生息しています。こうして日本列島を琵琶鱒と棲み分けています。
琵琶鱒は、今、海で捕獲されることは全くありませんが、桜鱒は、海鱒として、今も、川から稚魚が海に下り、海で卵を持ち、遡上産卵していると思います。海鱒として、今でも一般的な魚です。私が、渓流釣りに熱をあげていた頃は、ほとんどの川に桜鱒がいました。でも、最近は、田圃に水の供給をするために、多数の堰堤が作られており、川口から源流まで魚が遡上できる川は、きわめて少なくなっていると思われます。多くは養殖で産卵させ稚魚を育てて放流していると思います。ここも、桜鱒ではなく淡水魚のヤマメになっているでしょう。全国都道府県に内水面漁業共同組合があり、この事業を実施しています。
[熊について]
私は、渓流釣りの山歩きで、何度も熊と出会いました。でも、熊に関して、怖い思いをしたことはありません。殆ど、遠くを逃げる姿をみたことがあるという事例です。
日本の熊も2種類います。それは「羆(ひぐま)」と「月の輪熊」です。羆は北海道にいる熊で、性格は羆の方が強暴です。北海道では、その頃、地域によっては、人間を襲って食べる熊がいる地域もありました。でも、一般的には人を見れば逃げる動物です。耳や鼻がとくに良く、人の気配を早くに感じて人から離れます。
人が風下側にいるときは、はち合わせすることがありますから、充分注意する必要があります。札幌市や知床半島の近辺では、1頭5000円(当時)の懸賞金をかけて熊の捕獲を自治体が進めていました。
本州にいる熊の「月の輪熊」は、色が、まっ黒で、胸に三日月型の白い模様があり、おとなしい熊です。各地の川の源流域には、「またぎ」と呼ぶ、熊猟師がいましたが、今は、その活動は大変小さくなっていると思います。
[熊との出会い]
私が渓流釣りで熊に初めて出合ったのは、早稲田大学在学中「早稲田大学釣りの会」を結成し、「関東学生釣魚会連盟」をたちあげた、最初の頃のことです。
富士川支流の早川の上流、野呂川へ釣りに行ったときのことです。まだ、その時は、渓流釣りをする人は、他にいませんでしたから、私一人の単独行でした。
野呂川は、川の名から、ゆったりとした川かと思っていましたが、巨岩累々の中を、凄い水量の激流が、ながれ落ちている大渓谷でした。
野呂川への道は、入り口は、きちんとした登山道がついていました。一つの峠を越した後、野呂川の河川流につくまでは、わりと広々とした、樹林がまばらな地域で、しっかりとした登山道がついていました。南アルプスへ登ると登山道です。
熊と出合ったのは、このような平地を歩いていた時です。突然、前方の樹の上から、ばらばらと枝が落ちてきて、黒い熊が、樹から落ちてきました。私と熊の間の距離は、20メートルほどでした。落ちた熊は、腰を打ったようで、しばらく、腰を下ろした姿で止まっていました。熊と眼と眼が合いました。このときは、本当に眼と眼があったのです。でも、このときの熊の顔は、怖い顔ではありませんでした。むしろ、可愛い顔だと思いました。やがて熊は、後ろを向いて走って逃げていきました。
でも、私は困りました、熊は、私が行こうとしている熊笹の中の細い道の中に逃げたのです。私は、その道へ一人で行くのをためらいました。この日泊まる予定の山小屋までは、もう少しだったのですが、私は、この日出発した山小屋へ戻りました。
送りだしてくれた山小屋のご主人に、このことを話しましたが、ご主人は笑って「大丈夫ですよ」といいました。でも、私は頼み込んで一緒にきてもらい、この小さい熊笹の道を二人で歩きました。何事もおきませんでした。
この頃この地域では、このような状況になった熊は、一目散に逃げて、逆襲してくることは100%ないということでした。私は50代後半で、渓流釣りを引退するまで、十数回、熊と出合っていますが、こんなに近くで熊と出合ったこと二度とありませんでした。
[まとめ]
熊は秋の終り頃、土を堀った巣穴に入って冬眠します。そして春の終り、初夏の始めの頃、特に暖かい日に、一斉に穴からでてきます。その時、熊は、まだ寝ぼけていて、動きが鈍いのです。ですから、本来、余り危険はないのですが,出た時、はち合わせすると、ひっかかれたり、噛まれたれすることがあります。
先日、日本各地で熊が出たと、NHKテレビが放送していました。ちょうどこの時、私の研究報告は、いつも引用参照していた日経新聞の記事が、休刊になったため、私のブログも一日、休刊にしなければならないのかと心配していました。それで熊の話を書こうと、この原稿を書くことにしたのです。みなさん、どうでしたか。興味を持っていただけたでしょうか。
[付記]2024年5月13日:.
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