出雲の山
- honchikojisitenji
- 2024年2月25日
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出雲と言えば、出雲大社が有名ですし、国引きの神話やヤマタノオロチの神話といった神話などが伝えられているように、古代の神の国として栄えたのは間違いないでしょう。ヤマタノオロチ伝説は、一説では、出雲の国の中央を流れる暴れ川斐伊川(多くの支流を持ち出雲平野に幾筋にもあふれ水害を引き起こす:八俣)を素戔嗚尊が治めたことを神話にしたものであると聞いたことがあります。退治されたヤマタノオロチの切り裂かれた尾から出てきたのが天叢雲剣というのは、砂鉄の産地で、たたら製鉄の地であった斐伊川流域の象徴で、製鉄の技を興した(あるいは手に入れた)ということかもしれません。
たたら製鉄には木炭を必要とすることから、木材の搬出、炭焼きが行われていたはずですが、その森林の伐採故に水害が発生したということかもしれませんが、神話の昔に、そこまで森林を破壊することができたかどうかは?です。
とにかく、鉄は木のエネルギーから作られたものだったのです。砂鉄も森林資源も豊富だったこの地は、地域資源を上手に活かして産業を興し、稼いできた地域だったのだと思います。そもそも鉄は大陸からの渡来物であったでしょうから、製鉄技法も渡来人が持ち込んだものなのかもしれません。鉄ゆえに出雲が発展したのか、別に発展してきた人々がその力で出雲を治め鉄というモノを開発したのかは私にはわかりませんが、これも地域資源を活かした地方創造の神話版ということになると思います。
写真は、出雲大社の西側の海岸、稲佐の浜と弁天島です。神在月には全国から出雲に来る神様を迎える浜だそうです。出雲大社に参拝された折には、参拝した後にこの浜の砂を採取して出雲大社の境内にある素鵞社(そがのやしろ)に持って行って、奉納されてある砂と交換して奉納する(元々は奉納して1年たった砂を持ち帰る)と、浄めのご利益の砂として持ち帰ることができます。素鵞社の御祭神は素戔嗚尊ですから、もしかしたら、この砂の交換も斐伊川流域の砂鉄の神話と関係しているのかもしれません。
観光にあっても、古代の浪漫は重要な地域資源です。
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