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本川根の茶畑

  • honchikojisitenji
  • 11月2日
  • 読了時間: 3分

煎茶の名産地静岡は、地域それぞれのお茶の地域ブランドがあります。その中でも有名なブランドである川根茶産地の本川根町の茶畑に行ってきました。静岡のお茶畑は山間の斜面に

小規模に切り開かれたものが多いと聞きますが、まさにそのようなお茶畑でした。茶栽培が導入される前は、食料生産が何より重要で、斜面の利用は階段状に開墾する棚田、段々畑と斜面をそのまま使う焼畑だったのでしょう。お茶は平安時代初期には中国から導入されたようですが、鎌倉時代に禅宗のお寺で普及して広がり、茶園も寺院を核として京都から伊勢、伊賀、駿河、武蔵に栽培が広がり、武家社会に社交の場として広がり、江戸時代には町民の習慣にもなったようです。商品作物としての重要性が貨幣経済の発展や食料農業の生産性向上とともに高まってきたのだと思います。江戸時代初期から、この地域では茶が米の代わりに年貢として領主に納められていたそうです。


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斜面にうちでも比較的なだらかで広がりのある部分を茶畑にしています。この茶園は、有機栽培をすることで他と差別化をしているそうです。

現在、お茶は東北から南側で広く栽培されています。生産量が統計に載ってこないのは、青森と北海道だけのようです。しかし、自家用の茶の栽培はしているかもしれません。

川が近く気温の温度差で霧が出るようなところが品質が良い茶が生産できるということもあって、大井川流域のこの地の山間で栽培され続け、江戸時代には有名ブランドになったものと思います。

しかし、斜面での栽培作業は重労働ですし、商品作物としての収益性も、たくさんの嗜好品が広まっている中で需要が減少しており、厳しい状況にあるそうです。静岡では廃業される栽培農家も増え、茶畑がやはり放置されているようです。お茶の魅力を感じてもらうために、この農園では都市住民の体験ツアーということも続けて来られていますが、コロナ禍で中断して、やっと再開できるようになったところだということです。

しかし、今、世界が抹茶ブームに沸いており、観光客も日本に来て抹茶を目当てにしている方も多いようで、碾茶(抹茶のカテゴリー)の需要が急速に拡大して、煎茶の栽培を碾茶に転換しているところも多いと聞きます。一方で、その動きがあまりにも拡大しすぎて、今や煎茶が品不足となっている状況とのことです。

都会を含めたこのような需要をどう見極めていくのかは大事なところですが、有機栽培、農薬をできるだけ使わない栽培、都市住民とつながりを持った販路の中で生き残りを図っているこの農園には次の後継者も育てておられました。


 
 
 

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